従来の記念碑建設地はニシベツ側河口の河川敷地内であることから 河川占用許可を受けていたところであります。
今回伊能忠敬とニシベツ展の開催に合わせて7月28日に従前の場所から100メートルくらい 道路側に移設いたしました。
なお、この土地は民有地であることから個人の承諾を頂き移設しております。また入り口については従来と同じであります。
今回伊能忠敬とニシベツ展の開催に合わせて7月28日に従前の場所から100メートルくらい 道路側に移設いたしました。
なお、この土地は民有地であることから個人の承諾を頂き移設しております。また入り口については従来と同じであります。
平成23年の秋、まさかの爆弾低気圧で、またもや記念碑が倒壊。
三度目は木柱自体を取り換え、文字は写真データから読み込み、木柱は彫り直して基礎部分をコンクリートで固めて補強。二度の難関にも、福原、川村両会員の努力でなんとか復元しました。
当初は、記念碑ということで進んでいましたが、設置許可の問題、そして費用の問題から記念柱として設置。記念柱自体が木柱の為、いつまで風雪に耐えられるか問題があります。いずれは我々の手を離れ、文化遺産として管理されていくことを願います。
三度目は木柱自体を取り換え、文字は写真データから読み込み、木柱は彫り直して基礎部分をコンクリートで固めて補強。二度の難関にも、福原、川村両会員の努力でなんとか復元しました。
当初は、記念碑ということで進んでいましたが、設置許可の問題、そして費用の問題から記念柱として設置。記念柱自体が木柱の為、いつまで風雪に耐えられるか問題があります。いずれは我々の手を離れ、文化遺産として管理されていくことを願います。
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