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西暦 年齢 事項
1745年 0歳 忠敬上総国山辺郡小関村(現九十九里町)に生る。
1762年 17歳 忠敬と改名。
佐原村伊能家のミチの婿養子となる。
1781年 36歳 佐原村本宿組名主となる。
1794年 49歳 隠居して、家督を長男景敬に譲る。
通称を勘解由と改める。
1795年 50歳 江戸へ出て、深川黒江町に住む。
高橋至時の弟子となる。
1800年 55歳 (第一次測量)閏4月から10月にかけ奥州街道、蝦夷地を測量して実測図を作る。
1801年 56歳 (第二次測量)4月出立、伊豆から陸奥東海岸と奥州街道を測量。12月江戸に戻る。
1802年 57歳 (第三次測量)6月出立、出羽街道、越後街道など測量。10月江戸に戻る。
1803年 58歳 (第四次測量)2月出立、駿河、尾張、北陸海岸、能登半島、糸魚川、佐渡に渡り、三国峠を経て10月江戸に戻る。
1805年 60歳 (第五次測量)2月出立、東海道、紀州沿岸、大阪、京都、琵琶湖一周、山陽道を岡山へ12月到着、越年。
1808年 63歳 (第六次測量)1月出立、淡路島、四国の海岸線、伊勢街道を測量、伊勢山田で越年。
1809年 64歳 (第七次測量)8月出立、中山道、山陽道、豊前小倉で越年。
1811年 66歳 (第八次測量)11月再び九州に向かい、摂津郡山にて越年。
1815年 70歳 (第九次測量)2月江戸府内の第1次測量。4月より下役、内弟子を派遣して伊豆七島測量、(忠敬は老齢のため不参加)。熱海にて越年。
1816年 71歳 引き続き、富士宮、箱根、川越、熊谷を経て4月帰着。
(第十次測量)江戸府内の第2次測量。
「大日本沿海興地全図」の作成にとりかかる。
1818年 73歳 4月13日(陽暦5月17日)八丁堀亀島町の屋敷で死去。
遺言により浅草源空寺の高橋至時の墓のそばに葬る。

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